地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

豊臣時代の大名屋敷と町名の名残り

大阪には、豊臣時代の町名が現在でも多く残っています。

地名というのは何百年もの時が経過しても比較的、変化しにくいものですが、中世以降、大坂の地が豊臣時代になり、本格的な町づくりが始められた結果でしょう。

秀吉が平野郷の商人を強制移住させてできた現・中央区平野町、真田幸村(信繁)が大坂城南面の固めとして作った出城(でじろ)に由来する現・天王寺区真田山町などもその例です。

が、なかでも、秀吉臣下の大名の大坂屋敷に由来する町名が結構多く残っています。(画像参照)

<写真> 渡辺武『図説 再見大阪城』大阪都市協会、1983年、20頁

図説 再見大阪城

しかし、行政や郵便配達の効率化のためにつくられた「住居表示法」(1962年)に基づき、多くの伝統ある地名が消滅したことも事実です。

たとえば、大阪市北区の拙宅周辺では、空心町が東天満に、また、梅ヶ枝町が西天満へと変更されました。(何という味気ない町名か!)

おまけに、国道1号線の交差点は、東から順に、東天満東、東天満、東天満西、西天満東、西天満、西天満西と名前がつけ直されました。これはもう、思考停止としか思えません。

1998年の郵便番号7桁化により、現在では、町名まで番号で特定できるようになりました。(極端にいうと、町名を書かなくても郵便物は届きます。)

歴史的地名は、かけがえのない地域の文化財産です。お役所の都合で人為的に変更されるべきものではないでしょう。慣れ親しんだ歴史ある地名が人々の記憶の中にあるうちに、ぜひとも復活してほしいものです。

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興