地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大坂城をつくったのは誰か

大阪城をつくったのは誰でしょう? 答えは大工さん、という言葉遊びを子供の頃によくしましたが、この問いに正確に答えるのは簡単ではありません。

現在の大阪城は江戸時代初期に徳川2代将軍・秀忠の命により着工され、10年の歳月をかけて、1629(寛永9)年、3代将軍・家光の時に完成したものです。豊臣秀吉が築造したかつての大坂城は、夏の陣ですべて灰燼と帰しました。

<写真> 豊臣大坂城と徳川大坂城の本丸比較図(渡辺武『図説 再見大阪城』大阪都市協会、1983年、5頁より作成) 同じ大きさに直して並べてあるが、非常に形が似ているのがわかる

豊臣大坂城と徳川大坂城の本丸比較図

<写真> 大阪城本丸の東西断面図(北川央『大阪城不思議発見ウォーク』フォーラムA、2004年、20頁)

大阪城本丸の東西断面図

徳川家は人々から豊臣時代の記憶を消すこと、徳川家の威信を示すことを目的として、豊臣大坂城を残らず地中に埋め、その上に豊臣大坂城を凌ぐ巨大な堀、石垣、天守などをもつ壮大な城を築きました。

したがって、現在わたしたちが見ている大阪城は徳川時代の大坂城です(天守閣は昭和6年建造)。豊臣時代の大坂城はすべて地中に埋められ、地上からはその片鱗すら見ることはできません。

しかし、それが判明したのは1959年、ほんの半世紀ほど前のことです。それまでは、すくなくとも堀と石垣は豊臣時代のものと考えられていました。だから上のような言葉遊びができたんですね。

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興