地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

天守閣の呼び名の由来

<写真> 本丸広場から見た大阪城天守閣

本丸広場から見た大阪城天守閣

大阪城では、中心にある8階建ての塔を天守閣(てんしゅかく)と呼んでいます。

これは、お城の中で一番高い櫓(やぐら)を天守閣と呼ぶ習わしがあったためで、1931(昭和6)年、大阪城の復興にさいして「天守閣」と呼んだことによるものです。

天守閣というのは、金閣や銀閣などの楼閣建築が発展して天守閣になったとする考えに基づく造語であり、実際には、幕末になってから使われるようになった言葉です。

戦国時代末期から江戸時代初期には、まだ天守閣という呼び名はありませんでした。意外でしたか?

では当時、この部分を何と呼んでいたのかというと、現在残されている文書には、「てんしゅ」という言葉しか出てきません。

ただし、その表記は「天守」のほかに「天主」「殿守」「てんしゅ」「テンシュ」など、さまざまなバリエーションがあって統一されていないようです。

このサイトでは、以後、現在の大阪城の天守に限って「天守閣」と記すことにします。

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興