地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

戦国時代は武士以外の普通の人々も戦った

戦国時代、人々は土地の争奪と防衛のために自ら武装して戦いました。

軍事のエキスパートとなって武力で所領を守り、また、他所を略奪することを専らとしたのが戦国大名であり、その中心的家臣団です。(とりあえず、これらの人々を武士と呼んでおきます。)

しかし、武士は自分たちだけで戦(いくさ)はできません。実際に前線で戦うのは、兵士たち、すなわち農漁民や、その主領である土豪たちです。

彼らも自衛のために、また、武士に徴集されて戦うために武装していました。

農漁民や土豪たちは、自分たちの役に立たないと思えば領主である武士を見捨てて、役に立つ別の武士についたり、自力で自分たちの土地を守ったりしました。

(人々が団結して戦うことを一揆といいます。江戸時代の非武装農民の土一揆とはまったく別のものです)。

一揆が宗教的団結によって行われることもありました。本願寺の一向一揆がその代表的なものです。

織田信長は、人生の半分以上を石山合戦など一向一揆との戦いに費やしています。石山合戦では、本願寺の法主みずからが甲冑を身につけることもあったようです。(ただし、本願寺には延暦寺のような「僧兵」はいませんでした)。

<写真> 石山合戦使用兜 顕如上人所用と伝えられる 津田秀夫『図説 大阪府の歴史』河出書房新社、1990年 口絵より。

石山合戦使用兜

この時代には、職業や老若男女を問わず皆、武器や武具を持っているのが当たり前だったのです。

大坂の陣では、淀殿は甲冑を身につけていたといわれますし、平野の豪商で道頓堀を開削した成安道頓(なりやすどうとん)も、城中で討ち死にしています。

<写真> 千利休所用の甲冑 紺糸威具足 不審庵蔵。

千利休所用の甲冑

コンテンツ一覧

地元大阪人がガイドする素顔の大阪城: トップページ
◆ 
大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

このページのトップへ

もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興