地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

豊臣大阪城の大河のような堀

大友宗麟という戦国大名がいました。豊後の国を本領とするキリシタン大名で、当時、薩摩の島津家と九州の覇を争っていました。

が、しだいに劣勢になり、1586(天正14)年4月、秀吉の助けを請うため大坂にやってきました。前年の天正13年7月に、秀吉は関白に任じられています。

秀吉は、本丸御殿や天守などを自ら宗麟を先導して案内しています。秀吉は天守だけではなく、雪隠(せっちん)や夫婦の寝所なども見せたようです。

そのときの驚きが宗麟自身の手紙に残されていて、「堀の深さ、幅は比類がなく、まるで大河のようだ」と記しています。

現在の大阪城は徳川時代のもので、もちろん宗麟の見た堀とは違います。

が、満々と水をたたえる南外堀と高石垣が描き出す風景は、まさに大河のようで豊臣時代を彷彿とさせます(写真参照)。

満々と水をたたえる南外堀と高石垣

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興