地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

現在の天守閣は3代目天守

現在の大阪城は、徳川時代に再築されたものです。

当然、天守も新たに造り直され、5層5階(地階穴蔵・あなぐらを含めれば6階)、地表から鯱瓦上端までの総高58mあまり、という壮大なものでした。(現在の天守閣は54.8m)

豊臣時代の天守が5層6階(地下2階を含めれば7階)、総高約40mであったのと比べると、そもそも地表面が7.3m高くなっていたのですから、標高にすると、徳川天守は豊臣天守より25m以上も高く造られたのです。

徳川家の威信を誇示する巨大な天守でしたが、築造後40年経った1665(寛文5)年、落雷によって焼失してしまいました。

その後、再築されることはなかったため、永らく天守台石垣のみが残されたままでした。

およそ270年近く天守がなかった大阪城に天守が復活したのは、1931(昭和6)年のことです。

<写真> 渡辺武『図説 再見大阪城』大阪都市協会、1983年、195頁  昭和5年、建設中の大阪城天守閣。

建設中の大阪城天守閣

頃は大大阪時代、日本一の大都市にふさわしいシンボルとして復興をもとめる声が高まり、市民の寄付によって再建されたのです。

現・天守閣は豊臣時代の天守から数えて3代目ということになりますが、現在の天守閣は鉄筋コンクリート造りで5層8階です。

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興