地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

真田幸村の抜け穴跡と大阪人の願望伝説

大坂の陣で奮戦した真田幸村は全国的に人気の高い武将です。

<写真> 真田幸村公の像(三光神社の境内)

真田幸村公の像

ただ、文書(もんじょ)には信繁とのみ残されています。本人は「幸村」と名乗ったことも、また呼ばれたことも一度もないのですが、「幸村」人気に気圧されたのか、真田家の末裔までが幸村を受け入れてしまいました。

太閤びいきの地元・大阪では幸村人気はいっそう高く、大阪夏の陣での大奮闘を賞賛するのは当たり前なのでしょう。

なかには「本当は家康は幸村に殺されていた」のだとか、「幸村は死なずに秀頼らとともに九州の薩摩(その他、日本各地に候補あり)に逃げのびた」といった願望伝説がまことしやかに伝えられたりします。

写真の「真田の抜け穴跡」と呼ばれるものもそのひとつです。大坂の陣のさい、幸村隊は各所にめぐらせた抜け穴を通って、神出鬼没のごとく現れ家康軍を翻弄したといわれます。

<写真> 真田の抜穴跡(三光神社の境内)

真田の抜穴跡

もちろん、単なる伝説にすぎず、この穴は逆に、家康側が籠城する豊臣方を牽制するため城内に向けて掘ろうとした穴ではないかといわれていますが、本当のところはよくわかっていません。

そんないいかげんな話で「史跡」にしてしまうところが、いかにも大阪らしいという意味で、この抜け穴跡は一見の価値があるかもしれません。

「真田の抜穴跡」は、大阪環状線の玉造(たまつくり)駅から西へ300mほどの三光(さんこう)神社の境内にあります。

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興