地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大坂御坊の蓮如上人袈裟懸けの松

1496(明応5)年、本願寺の第8世法主・蓮如(れんにょ)は寺務を5男の実如(じつにょ)に譲り、上町台地の北端に一宇の坊社(大坂御坊)を建立して隠居しました。

蓮如の書状には、「摂州東成郡生玉之庄内(せっしゅうひがしなりこおりいくたまのしょうない)、大坂トイフ在所」とあり、大坂はもともと東成郡の一部の地名であったことが分かります。

当時の大坂は「家の一軒もない畠ばかりの地で虎狼の棲むところ」(『拾塵記』)だったそうです。

が、京都・山科本願寺が法華宗徒に焼き討ちされたため大坂御坊に本願寺を移し、その後、堀や塀をめぐらせた寺内町として大いに発展していきます。

大坂御坊を造るさい、蓮如上人が袈裟を懸けて宗派が栄えることを祈ったと伝えられるのが「蓮如上人袈裟懸けの松」です。

梅林から南へ坂を上った左側に「南無阿弥陀仏」と書かれた石碑があり、その裏側にあります。現在(↓写真)は切り株しか残っていませんが、

現在の蓮如上人袈裟懸けの松

それも、20数年前(↓写真)と比べるとずいぶん小さくなっています。

1980年代の蓮如上人袈裟懸けの松

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興