地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大坂城の西の丸庭園

徳川時代の大坂城は、明治時代になって新政府に召し上げられました。そのため、現在の大阪城は大半が国有地ですが、一部だけそうでない場所があります。

ひとつは豊国(ほうこく)神社で、これは社の私有地です。もうひとつが西の丸庭園で、これは大阪市の所有となっています。

<写真> 西の丸庭園からのぞむ天守閣とOBP

西の丸庭園から天守閣とOBP

数字で呼ばれる二の丸や三の丸と違い、西の丸や北の丸などは本丸と同等か、それにつぐ重要な曲輪と位置づけられていました。

豊臣時代、西の丸には秀吉の弟である秀長や、秀吉の正室・北の政所於祢(おね)らが屋敷を構えていたことからも、その役割の重要さがうかがえます。

西の丸は現在、かつての北仕切と千貫櫓から東に延びる塀です。南北が区切られた6.4haの西の丸庭園として、大阪市によって管理されています。

<写真>北仕切門

北仕切門

財政再建団体が目前の大阪市だからというわけでもないでしょうが、西の丸庭園には入場料200円(※2007年11月現在の料金)が必要です。(ただし、65才以上および身障者は無料。)

有料のおかげか西の丸庭園はいつでも人が少なく、都心にありながら大きく開けた空の下の芝生で静かにすごすぜいたくは、他に替えがたいものがあります。(たった200円で!)

また、ここから見る天守閣も絶品ですが、桜の季節には花見の名所にもなります。(さすがに、この時期だけは混雑しますが)。

コンテンツ一覧

地元大阪人がガイドする素顔の大阪城: トップページ
◆ 
大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

このページのトップへ

もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興