地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大坂城の初代城主は誰なのか

大坂城の初代城主は誰でしょうか? 本願寺大坂御坊も実質的には城でしたから、本願寺の門主が城主かという考え方もあります。が、それを大坂城主と定義するのはやはり無理がある気がします。

確たる根拠があるわけではありませんが、城主というのは、領主とほぼ同義ではないでしょうか。

つまり、領地支配の拠点である城の主であると同時に、領地の安堵を武力で保証し、見返りとして賦役や租税を徴発するシステムを保つ者というわけです。

であれば、門主は明らかに城主とは呼べません。では、誰が初代城主なのでしょう。

これには以前から議論があります。本格的な城郭は豊臣秀吉の大坂城からなので、初代城主は豊臣秀吉であるとする説が多数派です(秀吉が大坂城に移った天正12年には、まだ豊臣ではなく羽柴秀吉でした)。

しかし、織田信長が本能寺の変(1582・天正10年)で倒された後、信長の遺領配分を決めた清洲会議で池田恒興(つねおき)が摂津国を与えられ、石山合戦のあと放置されたままだった本願寺大坂城に入城していることから、池田恒興が初代城主だとする説も根強いのです。

<写真> 池田恒興像 享保17(1732)年 賛 林原美術館

池田恒興像

また、石山合戦で本願寺を紀州へ立ち退かせ、本願寺大坂城を実質的な支配下に置いたのは織田信長なので、信長を初代城主とする少数説もあります(大坂城天守閣元館長・渡辺武氏など)。

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
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再建後の天守閣
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豊臣時代の石垣発掘抗
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大阪城の3代目天守
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南外堀石垣の「謎の穴」
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豊国神社の復興