地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地

山里丸の刻印石広場から北へ向かえば極楽橋ですが、そのまままっすぐ東に行くと、右手に高さ1mくらいの石碑があります。

<写真> 山里丸南東にある石碑

山里丸南東の石碑

碑面には「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」と刻まれていて、豊臣秀頼とその母・淀殿および臣下の武将や侍女たち30余名が、大坂夏の陣で自決した場所だとされています。

ところが、実際には秀頼らの最期の場所がどこであったのか、いまでも確かなことはわかりません。

当時の記録でも、千畳敷と呼ばれる大広間のあった建物と記したものもあれば、糒櫓(ほしいやぐら)と書くもの、山里丸の焼け残りの唐物倉や糒蔵とするものなど、諸説入り乱れています。

結局、複数の記述がある朱三櫓(しゅさんやぐら)の近くに石碑を建立することになったようですが、碑が立てば、そこが本当の最期の場所のように思われてしまいます。

そもそも、豊臣時代の大坂城はすべて地中に埋まっているので、どこにせよ、場所の特定そのものが困難なのですが。

この碑からさらに東へ行くと、天守閣の北側に上る階段があります。

山里丸のこの一帯から階段を上ったあたりは人もあまり来ないエアポケットのような静かな場所で、一人思索にひたりたいときには、ぜひお薦めのスポットです。

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興