地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

石垣の発掘抗に垣間見る豊臣時代の大坂城

豊臣時代の大坂城はすべて地下に埋められ、現在では跡形も残っていません。しかし、その一部を垣間見ることは現在でも可能なのです。

ほとんどの人は気にも留めませんが、天守閣の南、やや東寄りに井戸のようなものがあります。

これは、本丸の地面に穴を掘って豊臣時代の本丸石垣を発見した発掘抗です(↓写真)。

豊臣時代の本丸石垣発掘抗

普段は蓋をして施錠されているので中をのぞくことはできませんが、何年かに1回、公開されることがあります。

抗の中には、夏の陣の戦火で黒く焼けた野面積み(のづらづみ)の石垣が埋まっています。この自然積み石垣こそが、まさに豊臣時代の石垣の証拠にほかなりません。

実は、大阪城の埋蔵調査はすでに数十箇所で行われていて、豊臣時代の大坂城は、かなり詳しくわかるようになりました。

下の写真もそうした調査抗のひとつです。

大坂城の調査抗

一見、下水の蓋のようですが、中には黒ずんだ石垣が埋もれているのを見ることができます。ちなみに、こちらのほうは年数回の説明会で見学できます。

コンクリート製の蓋は100s近くもあり、おまけに施錠されているので開けて見るというわけにはいきません。

とかく天守閣に目を奪われて上ばかり見てしまいますが、たまには足下にも目をやって歩いてみてください。多くの人が気づかずに通り過ぎているところにありますよ。

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興