地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

難攻不落の石山本願寺「大坂城」

戦国時代の習いとして、当時の大坂本願寺も武装門徒によって大名顔負けの戦闘を繰りひろげます。

一向一揆とよばれるもので、それを徹底的に打ち砕こうとしたのが織田信長でした。

信長は1570(元亀元)年から11年かけて本願寺を攻め続けましたが、結局、寺内に侵入することすらできませんでした。

大坂本願寺は難攻不落の「城郭」となっていたのです。『足利季世記(あしかがきせいき)』には、本願寺は「摂州第一の名城なり」と記されています。

最後は信長の包囲戦が功を奏し、本願寺は大坂を退去します。その際、坊中から出火し、丸2日燃え続けてすべてが焼失したといわれます。

信長は焼け落ちた本願寺「大坂城」を家臣の丹羽長秀に預けたものの、その信長は翌々年、本能寺で明智光秀に殺されます。

光秀を倒して跡をついだ羽柴秀吉は、長秀に替えて池田恒興を新しい城主に据えます。しかし、わずか1年後には恒興を美濃に国替えさせ、結局は自分が本願寺「大坂城」を基礎に新たに豊臣大坂城を造ったのです。

信長の死後、すぐに大坂の地を手に入れたのでは、あまりにあからさまと思ったのでしょう。

現在、大阪城二の丸の修道館の東に「石山本願寺推定地」の碑が建てられています。

<写真> 本願寺推定地の碑

本願寺推定地の碑

コンテンツ一覧

地元大阪人がガイドする素顔の大阪城: トップページ
◆ 
大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

このページのトップへ

もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興