地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大坂城本丸の配水池管

大坂の街は、上町台地の西側に形成された淀川と大和川の三角州の上に発達してきました。だから、地下水は塩分が多くて飲用には適さなかったのです。

事情は江戸も同様でしたが、江戸は解決策として上水道を張り巡らせました。

それに対し、大坂では下水を発達させたものの、上水道は20世紀に至るまで完備されることはなかったのです。

では、大坂では飲み水はどうやって手に入れたのでしょう。上町台地にはいくつか良質の井戸が湧いていますが、船場や島之内などの低地では、水売りが源八橋付近の大川で汲んだ水を売り歩いていたそうです。

それでも、近代都市として発展していくには上水道の整備は避けられません。そこで、1895(明治28)年、大阪で一番高い大坂城本丸に設置されたタンクに、桜宮からポンプで大川の水を汲み上げ、市内に落差を利用して配水しました。

現在、天守閣の東側にフェンスで囲まれて一段高くなった一角があります。

上から見ると芝生を引いたグラウンドのように見えますが、あれは、地面の上に直接置かれた巨大な配水タンクです。

<写真> 天守閣から見下ろした配水池管

天守閣から見下ろした配水池管

本丸西側の空堀に大きなパイプが横切っていますが、これを通して大阪市内に水を供給するのです。もちろん、今も現役です。

<写真> 本丸西空堀の配水管

本丸西空堀の配水管

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興