地元大阪人がガイドする素顔の大阪城

大阪城の大砲・お城のドン

大阪城のこの大砲は、「お城のドン」としてあまりに有名な大砲です。ほとんどのガイドブック・解説本に載っています。

大阪城の大砲

現在は天守閣入り口の右横に展示されていますが、注目して足を止める人は少ないようです。

大砲ということから維新戦争にでも関係あるかと想像しますが、そうではありません。

西洋式の時計が普及するまで、人はどうやって時刻を知ったのでしょうか。都市部では、お城や大きな寺などで鐘または太鼓を鳴らして時刻を伝えたそうです。

江戸時代、大坂では現・中央区釣鐘町にあった釣鐘屋敷というところで、一刻(2時間)ごとに鐘を鳴らしたといいます。

大坂の時刻は、北船場を中心として同心円状に音速で拡がっていったのです。(ということは、場所によって時刻が違う・・・!)

明治になり、時報は鐘から大坂城を占有した新政府による大砲に代わりました。

当初は1日に3回、空砲を撃ったのですが、1874(明治7)年からは正午だけになり、それを「お城のドン」と呼ぶようになったのです。

天守閣入り口横にあるのはその大砲で、時報は東に向けて撃っていました。

ところが、ちょうどその方向に大阪府庁が江之子島から現在の場所(お堀の対岸)に移転してきて、あまりに凄まじい轟音が問題になりました。

そのため、1924(大正13)年に「お城のドン」は中止になりました。その当時には、既に時計が普及していたことも関係しているのでしょう。

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大阪城の3つの意味 天守閣の由来 お城とはどの部分か お城の曲輪と丸 大坂城の初代城主 大手門の枡形虎口 大阪城の桃園 徳川家康の天守砲撃 淀殿ら自刃の地 大阪城の西の丸庭園 真田幸村の抜け穴跡 豊臣秀頼は巨漢? 大坂城をつくったのは? 豊臣時代の大坂城 再建後の天守閣 石山本願寺「大坂城」 豊臣時代の石垣発掘抗 蓮如上人袈裟懸けの松 大阪城の3代目天守 大坂城の配水池管 普通の人々も戦った 大名屋敷と町名の名残り 細川ガラシア像 南外堀石垣の「謎の穴」 大河のような堀 白龍大神とは 天守閣の日本庭園 大砲・お城のドン 豊国神社の復興

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もくじ
大阪城の3つの意味
天守閣の由来
お城とはどの部分か
お城の曲輪と丸
大坂城の初代城主
大手門の枡形虎口
大阪城の桃園
徳川家康の天守砲撃
淀殿ら自刃の地
大阪城の西の丸庭園
真田幸村の抜け穴跡
豊臣秀頼は巨漢?
大坂城をつくったのは?
豊臣時代の大坂城
再建後の天守閣
石山本願寺「大坂城」
豊臣時代の石垣発掘抗
蓮如上人袈裟懸けの松
大阪城の3代目天守
大坂城の配水池管
普通の人々も戦った
大名屋敷と町名の名残り
細川ガラシア像
南外堀石垣の「謎の穴」
大河のような堀
白龍大神とは
天守閣の日本庭園
大砲・お城のドン
豊国神社の復興